岡山武道館 柔道部 メンバー

Makothin's Hearing

大学時代からギターを始めましたが、「難聴」でも充分に音楽はできます。もちろん難聴の度合いにもよりますが、少なくともマコチンのように準重度のレベルでも音楽をすることを可能です。

「音楽」のページも書いていますが、難聴のため音感・リズム感が悪く、とても音楽ができたものではありませんでした。結構周りからも否定的な意見が出ていましたし、普通に考えればギターをしてバンドをすることは無謀なことなのかも知れません。それでも音楽が好きだったマコチンはギターを諦めることができなかったのです。

独学に限界を感じギター教室へ通うようになり、これまた相当に必死で頑張りました!とくにウラのリズムを掴むことは並大抵のことではなく、ほぼ諦めかけていたときもあります。しかし、そんな難聴である自分を当時のギターの先生に愚痴ってしまったときに言われました、「ベートーベンはたとえ耳が聞こえなくなっても立派に音楽やってたよ!」と。なんか頭をガーンと殴られたような感じでした。なので諦めずに毎日足でリズムを取りながら練習したものです。これは本当に相当にやりました!

そのかいあってか、今ではウラのリズムはもちろんのこと3連符のリズムも掴めるようになっています。またオリジナル曲を作曲できるようにまで成長し、東京のある音楽プロデューサーへ音源をメールで添付したときは、返事に「これはもう完璧にプロのレベルだよ、これからどうするの?」と聞かれたことがありました。しかしながら、さすがにプロは目指せませんでした…。難聴である自分を冷静に見据れば、将来的にますます難聴が酷くなる可能性も否定できないので、そうなるとプロになっていた場合、ベートーベンのように音楽活動を続けることは絶対的に不可能だからです。でも正直にとても嬉しかったし、世の中に認められれるぐらいになったかなと思わずにはいられませんでした。

思うことは自分に限界を作ってしまうとそこで止まってしまうし、作らずに可能性を信じて行けば必ず何かしら結果が後からついてくることです。これは柔道をやっていても思うことです。この10年、自分の軌跡を振り返るとそんな自分がいたことをちょこっと誇りに思えたりもします。「あー、そっかー、頑張れたんだー」って感じです。燃え尽き症候群にならないようにしないといけませんね^^;。

マコチンの難聴について

シーメンス製の補聴器

シーメンス製の補聴器


マコチンのオシログラフ

マコチンのオシログラフ

ほぼ先天性の神経性難聴

マコチンが1歳から2歳にかけてのことで、水疱瘡と風邪を併発するという事態がありました。当時はこのような併発症状に対して有効的な治療法はなかったようで、乳幼児であったマコチンに対して成人用のお薬を投与したらしいのです。その副作用のためか言語発達において他の児童と比べて遅かったようで、精密検査の結果神経性難聴ということが分かりました。難聴の度合いは準重度となります。高音ほど聞こえにくく女性との会話は苦手としています。中音域から低音域は比較的聞こえやすいです。また常に耳鳴りがしています。耳の神経が常に放電しているようです。

難聴に対する治療

神経性難聴と言うことで、当時はさまざまな病院へ通いその治療法を探していたようですが、どこも診断結果は同じで治療不可能というものでした。神経の麻痺は治すことがとても難しい分野の一つのようです。つまり今のマコチンの聴力は当時の1歳か2歳のままということです。

それでも少ない可能性を信じてか、小学校2年生のときに扁桃腺切除の手術を受けました。しかし今でもその手術がどのような意味を持つのか個人的には良く分かりません^^;。

小学生のときは慢性的な鼻炎でもあったので、下校時は毎日耳鼻科へ通っていたことを覚えています。あの鼻の奥へ突っ込んで空気を通すやつありますよね、あれを毎日やっていたので当時は嫌で嫌で仕方ありませんでした><。

難聴における生活

想像に難しくないとは思いますが、難聴ということで当然の如く学校生活は熾烈を極めていました。まず保育園から小学校へ進学するとき、親と学校は揉めていたのです。学校側は「難聴学級へ入れるべきだ」と言い、親は「普通の学級へ進学させたい」と主張!両者の言い分はかなり長引いたらしいですが、結局最後には学校側が折れて、マコチンは普通の学級へ入ることとなりました。

しかし、やはり集団活動や集団生活にはコミュニケーションを取ることが難しく、いわば迫害を受けていたのは確かです。言語発達が遅かったので基本的に「おかしな奴」として受け取られていたようですね。迫害は必然的にマコチンを登校拒否へと導いていきました。と言うことで小学校はほとんど登校していなかったのが事実です。

実際に学校へ行きだしたのは中学2年生からです。なぜ中学2年から行きだしたのか、これは実は「喘息」とも密接な関係があります。この頃から携帯用吸入器を持てるようになり、発作が起きたときはそれで治めることができるようになったからです。

当時のマコチンからしてみれば、「難聴」と「喘息」はまさに二重の苦しみで、それだけでもコンプレックスは避けて通ることのできない相当なものでした。それでも高校から大学においては次第に皆との生活に慣れ、ある意味で成長過程において処世術を身につけて行き、その場その場をうまく切り抜けて行けるようになってきました。

仕事と難聴

仕事においてのマコチンの難聴は非常に深刻なものでした。実は現在の仕事をはじめる以前までは補聴器をまったく使わずにいたのです。今から10年くらい前、一度大学入学時に補聴器を購入したことがあるのですが、とにかくハウリングは酷いし、音質もキンキンとなり返って聞こえにくいものでした。それでも当時は片方だけでも30万近くしていました^^;。

これまでの職場では、補聴器をしていなかったため言われたことを間違って解釈し正反対のことをしてしまったり、電話口の相手が何を言っているのか分からず中途半端に対応してしまったりと、いわば何一つ完璧にこなすことのできない人間として見られていたのです。

こればかりはたとえ皆に理解をしてもらったところで、仕事がうまく行くようになることはありません。理解のみで解決にはなっていないからです。福祉系の仕事をしているときは、それ系の職場の人なら分かると思いますが、施設内でのすれ違いざまの会話って多いですよね、これってかなり対応に困っていました。「いま何を言ってたのだろうか?」と相当に考えながら予測を立てて行動するのですが、たいてい外れが多かったですね^^;。

必然的に福祉系の仕事における自分の限界を思い知らされることになり、ここに自分の未来はないと悟り退職した次第です。

現在の仕事

現在はインターネットの普及のお蔭で、ネット系のお仕事を個人事業主という形でスタートさせています。その前に自分を見据え、仕事のときは両耳に補聴器を使用することを決心しました。あえて耳掛けタイプにして外見的にも理解をしてもらおうと、写真のような補聴器を購入しました。これ二つで25万ぐらいします。とにかく高いですよね、いちおう3年保証なのですが、既に保証期間を過ぎているので故障したらどうしようと思ってしまします…。こういう補助金のひとつやふたつあっても良さげな…。

まーしかし、現在のお仕事はとても静かな空間での会話が多いので補聴器を着けていればたいていはお話することができます。と言ってもゴモリ形の人は補聴器をつけても何を言っているのか分からないのですが…。補聴器をつけていると健康な人と同じぐらい聞こえるようになると思われがちですが、決してそんなことはありません。残念ながらこの辺の理解をしてくれない方がいることも事実です。

余談ですが、マコチンは携帯の着信音が聞こえないことが多いです。これ系の電子音って本当に聞こえにくいのですよね、耳を携帯にピッタリ近づけると聞こえるのですが…。よく連れから、「いま携帯鳴ってるぞ」と言われてようやく気づくことが多いですな。だったらバイブレーションにしろと言われそうですが、これもまた結構気づき難くないでしょうか?歩いてたり動いてたりするとバイブレーション気づかないです^^;。

今後としては

ネットの普及ということもあり、メールやチャットでの文章を介しての会話や対話が出来ることに対してとても恩恵を感じています!今後も出来うる限り現在の仕事を続けていき、難聴者でも充分に仕事をしていけることを証明して行くことができればと思う次第です。まだまだマコチンの挑戦は続くと言うことですな!!



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